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脇阪克二のデザイン ―マリメッコ、SOU・SOU、妻へ宛てた一万枚のアイデア

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参照データ

タイトル脇阪克二のデザイン ―マリメッコ、SOU・SOU、妻へ宛てた一万枚のアイデア
発売日販売日未定
製作者脇阪克二
販売元パイインターナショナル
JANコード9784756242686
カテゴリ » ジャンル別 » アート・建築・デザイン » デザイン

購入者の感想

15.01.14
いったいどんな人がこれらのテキスタイル作品を描き、
どんなキャリアを生きてこられたのでしょう、
オールカラー200ページほどのこの作品集を見ると、
誰もがそうおもうんじゃないかしら。

脇阪克二さんは、1944年京都生まれ、高校卒業後6年の仕事の後、
1968年、24歳で、5枚の作品をもって、フィンランド、marimekko の面接を受けます。
フィンランドといえば、森と泉と雪の国、ソヴィエト連邦の脅威のなかで、
なんとしてでも独立を維持し、工業化を促進させた不屈の努力の国です。
冬が長く、環境から色彩がなくなる季節にも、はなやかな色彩を求める気持ちが、
marimekko のデザインを花開かせたことでしょう。
しかも当時 marimekko は、1960年にジャクリーン・ケネディが marimekko の花柄のワンピースを着て以来、
世界のブランドになっていった時期でした。その後、花こそが、1960年代を代表するイメージになってゆきます。
さて、脇阪さんが持参した5枚の作品は、
marimekko の創業者アルミ・ラティアArmi Ratia女史に絶賛され、脇坂さんは、marimekkoに就職します。

ラティア女史によって作られた社風は、
Be yourself.あなた自身でありなさい。なにをするかは自分で決めなさい。
こうして脇阪さんは、marimekkoで仕事をはじめますが、
ところが脇坂さんは、その自由な社風にとまどい、
とまどっているうちに、半年後のある日、退職勧告が届きます、
「いまのあなたは空っぽ、わたしたちにはどうすることもできない。」
その後、脇阪克二さんは、どこにも属さない状態で半年間製作を続けます。
脇阪さんは半年後作品を携え、ふたたびmarimekkoのドアを叩き、
その作品をアルミ・ラティア女史に認められ、復職し、
それからが脇坂さんのほんとうのmarimekko時代になります。

その後、脇阪さんはニューヨークのラーセン社などを経て、

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